【辛い過去】趣味があるのは良いことだがネトゲにはまってる人は軽蔑してしまう。なぜなら昔…。
子供がいる人は、ちゃんと
子供のことも構ってあげてほしいなって思う
ネトゲに没頭するようになってから母は母じゃなくなった。
家事も育児もすっかり疎かになった。
ご飯や授業参観はおろか、母は私の方を
向いてくれることさえなくなった。
懇談会はしぶしぶ参加していたけど、
後で何故か怒鳴られた。
私が学校から帰る度、朝と全く変わらない体勢で
パソコンに向かっていた母の姿を鮮明に覚えている
ゲームの名前は覚えていない。
母の乾いて血走った目はよく覚えている。
いつから母が変わってしまったのかは覚えていない。
昔の母は普通の母だったと思う。
私が幼稚園にいた頃は、少しヒステリックなところはあったけど、
それでもお母さんと呼ぶことに違和感は抱かない程度には
普通のお母さんをやっていたと思う。
あまり母だった頃の母は記憶には残ってないけどね。
乾いた目でパソコンに向かう母の姿の方がずっと長く見てきた光景だから
母は当時まだ小学生だった姉に家事を丸投げしていた
「今日は友達と遊ぶから晩御飯は作れない」と言った姉を
怒鳴りつけた母の醜い声は未だに生々しく覚えている
何も憂うことなく思いっきり遊ぶべき時期だっただろうに、
姉は私を細やかに世話してくれた。家事の傍らで宿題も教えてくれた
この状況は二年ぐらい続いたかな。
父は何にも気付いていなかった。
仕事で帰りが遅くて、いつも私たちが寝静まった頃に
帰ってきていたから仕方なかったと思う
ある日の夜中、帰ってきた父に姉が泣きながら
今までのことを洗いざらい話した。
起きてきた母は金切声をあげて、私は訳もわからず泣いた。
私は泣き疲れてすぐに寝てしまったので
父と母の間でどんな話し合いが行われたのかを知らない。
これがきっかけとなって姉と私は祖母の家に預けられた。
それから今に至るまで祖母の家で生活している。
祖母の家で暮らすようになってからは、少なくとも
私が知り及ぶ限りでは特筆するような波乱はなかった。
姉と祖母と父はもっと何か知ってるかも知れないけど、
少なくとも私はごくごく普通の青春を送ったと思う
姉は祖母とカウンセラーの支えもあって立ち直り、
今では立派に社会人をやっている。
私も大学生になった。
高校までの勉強と違って勉強すればするほど
分からないことが増えていくけど、
知識欲を満たす生活はとても充実していて楽しい。
一度だけ、母と会ったことがある。
成人式の帰りに父に頼まれて、本当は嫌だったけど
仕方なく小さな和食屋で母と再会した
眉間の深い皺と荒みきった目、毛先が傷んだ髪の毛は、
中学の同級生だった不良のお母さん(後に逮捕された)を彷彿とさせた
不思議なことに父は未だ母と離婚していなかった
父には申し訳ないけど、愛想を振りまく気にはなれなかった。
母の声色、姿、どれも小さな頃の記憶を思い起こさせるもので、
私は吐き気と妙な眠気に襲われた。
考え事に集中して意識を飛ばして母との再会を乗り切った。
母の聞くに堪えない罵倒に対して生返事と適当な相槌を繰り返した。
母の罵倒を思い出すと精神が抉れるので一部だけ紹介する
「お前みたいな馬鹿には大学なんて無駄」
「そんなに遊び足りないの?私は進学しなかったよ」
「すっかりクソトメ(当時は「クソめ」に聞こえた)に甘やかされて。
三文安ってやつだね」
大体こんな感じのことを言われた
大学をやめるよう命じられたような気がするけど、
私はお手洗いに行くふりをしてこっそり抜け出して、
そのまま家まで逃げ帰ったので何にも知らない。
父には後で謝った。別に怒られはしなかった。
今は平穏な日々が続いている。
このまま平和な日々が続くことを祈っている。
●コメント
ネトゲは関係ないと思う
あなた母親が最初から親になる器がなかっただけで
>私が幼稚園にいた頃は、少しヒステリックなところはあった
幼稚園児が「うちのママはヒステリック」と認識するのは相当だよ
母親の精神性が幼稚で親になれる状態じゃなかったのに
二人も作ったから、いっぱいいっぱいだったんだろう
で、目の前にネトゲがあったから没頭しただけで
ホストだったりジャニだったり、ぶっちゃけなんでも良かったんだと思うよ
そして言ってはなんだけど、父親もちょっと・・・
金を稼げばいいんだろうで家のことは全部読めに丸投げ、
一緒に暮らして子供の虐待に気づかない、
母親との再会の強要、とあまり子供にとって良い親に見えない
強要されたんじゃないって言うかもしれないけど、
本心は嫌だったんでしょ、でも言えなくて了承しちゃったんでしょ
しかも再会で罵倒されて放置?それとも母親との再会二人だけで?
やっぱ父親もアレだよ・・・
●コメント
そういう母親が二人も三人も産んで、なおかつ上の子が女の子だと悲惨。
一家の小さな母親として、家事とか下の子の世話とか
親のカウンセリング(下手すれば言葉や暴力によるサンドバッグ)を
一身に担うことになるから
妻のそんな状況に二年も気付かなかった父親もまともじゃないわ。
大学卒業して自立したらさっさと逃げた方がいい
引用元:何を書いても構いませんので@生活板 30
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1469787430/
スポンサーリンク
人気記事ランキング
【墓場まで持ってく話】中学からの彼と結婚した2日後、彼が事故死。数か月後妊娠&流産が判明した・・・というのは表向きの話。実は・・・
【不気味な話】太平洋戦争で爺ちゃんが目撃した謎の集落
【DQN親】いじめられっ子の息子に「どうしても我慢できなくなった時は手加減せずにやってやれ!」と言ったら、本当に相手をボコボコにしてきた。そしたら授業参観で相手親が・・・
【いい話】母の三回忌を待たずに再婚する父親に無性に腹がたった。再婚相手の女が初めて家に来る日に、父親とその女を徹底的に無視してやろう、困らせてやろうと企てた。そしてその女が家に来て、廊下で父親に言った。
【クソトメ】トメ「コトメ子が今年七五三だから、あんたの娘の着物送って!」→もう無いことを伝えると「うちの着物を勝手なことして」とw
【イラッとする話】ド田舎で一戸建ての俺家。夜にいきなりインターホンが鳴ったんで妹A(中3)が出たら見知らぬ大学生くらいの2人の男がいた。男「泊めてくれない?」
【スカッとするDQN返し】義母の料理が好きな旦那の話『いやだわぁあ嫁子さんあんな簡単なものも出来ないの?』
【裏切り】夜景を見に友人と車で山へ行ったらトイレに行ってる隙に置き去りに。2時間程掛けて山を降りて、さらに2時間程掛けて家に着いてから……
【幸せな復讐】おれは農家の長男。大学卒業後帰郷してしばらくし、付き合った女の子がいた。1年もすれば結婚も意識していたので、あちらのご両親に挨拶をしに行ったらおれが農家だと知った途端、うちの娘は百姓にくれてやるために大学まで出したわけじゃない!とか言われ、Aもオロオロ。しかし別に実家の仕事やってもらおうとか思ってなかった。
【イラッとする話】友人Aに私が出産して一週間たったところで「泊まりに行っていい?」と聞かれた。その後友人Aと友人Bから合同で出産祝いが届いたが合計で五千円にも満たない上にデパートの袋の口をガムテープで止めた状態で届いて驚いた。
関連記事
-
-
【過去】嫁が浮気して妊娠。慰謝料はどちらからも払わせたが嫁が離婚を認めない。そんな時、嫁の高校の同級生が訪ねてきた。この同級生がその後の俺の人生を
約三年前の出来事。 結婚2年目の嫁(専業)が浮気した。 なぜ浮気してるのが分かったか、それは嫁の
-
-
【衝撃】幼稚園の頃、書道大会なるものがあった。俺は書道の「しょ」の字も知らないガキで鼻くそほじりながらテキトーにやった。一方で書道を習っていたA。ものすごく上手に書けていて子供ながらに感心した。そしてその年の書道大会の結果に衝撃が走った…。
自分でもどうでもいいことだと思っているんだけど、 未だに夢で見るので衝撃的だったんだと思う。 幼
-
-
【大逆転】結婚後子供が産めなくなったのだが39歳になったとき、やっぱり子供が欲しいと夫に離婚された。その後は抜け殻みたいに過ごしていたのだが…。
25歳の時に4歳年下の男と恋愛結婚。半端なくサイクルの短い転勤の繰り返しでめまぐるしい結婚生
-
-
【馴れ初め】中学の時、今の嫁に告白されたけど、彼女がいたから断った。しかし当時の彼女にそのことを話すと嫁の事を笑いながら馬鹿にしててスーッと冷めてしまった。そして気づいたら…。
俺の嫁は中学の時の後輩。 嫁が一年、俺が三年の時に嫁に告白された。 当時は彼女がいたから断った
-
-
【イジメ】小学6年生の1年間、徹底的に無視された。なんとか対策をとりながら学校に通っていたけど正直一番辛かったのは・・・。
小学校6年生になった日から1年間無視をされていた 無視というか存在自体が無いこととされていた










